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メンタル不全者に対する使用者の措置に関する法律実務[1]

 第 1 回 安全配慮義務と不法行 2009年7月1日

 過労自殺などの事件では、会社は安全配慮義務違反を理由に損害賠償の請求をされます。しかし、交通事故などに代表されるように、損害賠償を請求される場合は「不法行為」という概念も問題になります。そこで、安全配慮義務違反と不法行為との違いの理解を通じて、会社のリスク管理にとって重要な概念である「安全配慮義務」の理解を深めていただこうと考えています。


1 安全配慮義務が問題になるケース
 「従業員が、14ヶ月間で合計1019時間もの時間外労働・休日労働を行った結果、うつ病に罹患して自殺した」というケースで、遺族が会社に損害賠償を求める民事裁判を起こしました。これは、かの有名な「電通事件(平成12年3月24日最高裁判決)」です。このとき、原告である遺族が用いた法律構成の一つが、「会社には、安全配慮義務の違反があったので、損害を賠償しなさい」というものです。
* お気づきだと思いますが、労働事件に関する裁判例は、当事者の会社名が裁判例の通称として用いられ、様々な文献などで引用されます。労働事件の裁判例集をぱらぱらめくると、「この会社は、労働事件が多い」なんてことに気付きます。会社が裁判に勝っても、事件名として用いられます。

2 安全配慮義務とは
 それでは、安全配慮義務というのは、どういう根拠に基づき認められる義務なのでしょうか。これまで、「安全配慮義務」を定めた法律はありませんでしたが、平成20年3月1日から施行されている「労働契約法」の5条において、「労働者の安全への配慮」というタイトルのもとに、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することが出来るよう、必要な配慮をするものとする」と規定されました。
 しかし、「安全配慮義務」というのは、この法律の規定によって初めて創設された概念・義務ではありません。労働契約法制定前から、学説や判例によって、解釈上認められてきた概念であり、労働契約法はこのような学説や判例の成果を明文化したものに過ぎません。

3 不法行為責任との関係
 学説では、かなり古くから、安全配慮義務について議論がなされていましたが、裁判例に登場するのは、1970年代以降です。それでは、1970年代になって、裁判所が「安全配慮義務」という考え方を採用するまでは、例えば、「プレス工場で、プレス機に安全装置がつけられていなかったため、プレス機に手が挟まれた」という事故が発生した場合、当該従業員は会社に対して、損害賠償を請求することは出来なかったのでしょうか。
 答えは、「請求できていました」。つまり、裁判所は、このようなケースにおいて、プレス機に安全装置をつけていないことを会社の過失と認め、不法行為(民法715条)に基づく損害賠償責任を認めていたのです。
 不法行為とは、例えば交通事故のように他人同士の間で生じたトラブルについて、加害者の行為が違法で、加害行為と被害者の損害との間に因果関係があり、加害者に故意や過失がある場合に加害者に損害賠償義務を認めるというものです。
 他方、安全配慮義務というのは、このことに初めて言及した最高裁判例によると「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として、当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」とされています(昭和50年2月25日最高裁 陸上自衛隊八戸車両整備工場事件)。つまり、安全配慮義務違反というのは、契約関係にある当事者間(但し、正確には「元請と下請従業員」のように、両者の間に直接の契約関係がなくても、「ある法律関係に基づき特別な社会的接触関係」にあれば、適用されることがあります)の義務違反(この点で、何ら関係のない当事者間において適用される不法行為とは異なります)の一種です。
 ある事実が不法行為の要件にも該当し、債務不履行の要件にも該当する場合は、どちらかを選択して請求することも出来るし、両方請求することも出来ます。
 先程、電通事件を紹介するときに、原告である遺族が用いた法律構成の一つが安全配慮義務違反と書いたのですが、原告が用いたもう一つの法律構成は、不法行為に基づく損害賠償請求だったのです。
 現実の裁判でも、安全配慮義務違反が問題になる場合は、不法行為も一緒に主張されている例が多いです。

4 不法行為が成立する場合は、安全配慮義務違反が成立するか。
 このように、安全配慮義務違反も不法行為も共に、義務違反であり、安全配慮義務違反が主張される際は、不法行為も共に主張されるというならば、会社に不法行為が成立する場合は、常に安全配慮義務違反も成立するのでしょうか。そうではありません。
 陸上自衛隊の隊員Aが隊務のため自衛隊車両を運転する際、運転上の過失により対向車と衝突し、同乗していた隊員Bが死亡したというケースがあります(最高裁昭和58年5月27日 陸上自衛隊331会計隊事件)。
 この場合、Bの遺族は国に対して国家賠償を求めることは出来ます(民間会社の場合は、使用者責任〔民法715条〕)。問題は、安全配慮義務違反を理由に損害賠償を請求できるかという点です。
 この点、最高裁は、「(安全配慮)義務は、国が公務遂行にあたって支配管理する人的・物的環境から生じうべき危険の防止について信義則上負担するものであるから、国は車両整備を十全ならしめたり、適任者をして運転させるなどの義務を負うが、運転者において道路交通法その他の法令に基づき当然に負うべきとされる通常の注意義務は安全配慮義務の内容に」含まれないと判示しました。
 つまり、安全配慮義務が両当事者間の労働契約関係上の義務とされる以上、あくまでも労働契約に基づく使用者の権利、具体的には従業員に対する労務指揮権、施設管理権に関連する行為に関して問題とされるのであり、不法行為の成立要件の「一般的な安全配慮義務違反」とは異なるのです。

5 裁判で安全配慮義務違反と不法行為を主張する場合の違い
 成立する場面の違いは、4で述べたとおりですが、裁判で主張する場合にどちらの方が有利、不利というのはあるのでしょうか。大きい相違点は、消滅時効の期間です。つまり、不法行為構成の場合は、損害及び加害者を知ったときから3年です(民法724条)。それに対して、安全配慮義務違反構成の場合は、損害発生時から10年(民法167条)です。
 従って、この点では安全配慮義務違反構成の方が有利です。これまで紹介した自衛隊関係の裁判例2つ(陸上自衛隊八戸車両整備工場事件、陸上自衛隊331会計隊事件)は、いずれも事故後3年以上経過してからの提訴だったので、安全配慮義務違反の成否が大きく問題になった事案です。
 それほど大きい相違点ではありませんが、遅延損害金の発生時期が異なります。不法行為構成の場合は不法行為時から発生するのに対し、安全配慮義務違反の場合は請求時から発生します(民法412条3項)。この点では、不法行為構成の方が有利です。
 その他、裁判において、請求する側が過失を立証する必要があるのか、請求される側が自らの無過失を立証する必要があるのか(過失の立証責任の所在)、遺族が自らの精神的苦痛について、固有の慰謝料請求権を有するかなどについて、理論上は相違しますが、実務的にはほとんど違いが生じませんので、気にする必要はないと考えます。
                                                 以 上

執筆者

富小路法律事務所 弁護士 中尾 貴則
同志社大学法学部卒業後、翌年、司法試験合格。大阪弁護士会に登録。法人企業(大企業、中小企業)に対する企業間の取引や、消費者からのクレームにまつわるトラブル、従業員とのトラブルについての相談、契約書作成・確認などの業務を行う。
2007年、富小路法律事務所設立。現在に至る。 2008年に「メンタルヘルスの法律実務入門セミナー」、「メンタルヘルスの法律実務入門セミナー」をメンタルグロウと共催。著作としては、労働審判法(共著)、知的財産契約の理論と実務(共著)。

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