メンタル不全者に対する使用者の措置に関する法律実務[2]
第 2 回 安全配慮義務の具体的内容 2010年1月14日
前回は、不法行為と対比することで、安全配慮義務の特徴を理解していただきました。安全配慮義務と言っても、その具体的内容は明らかではありません。会社のリスク管理の観点からは、安全配慮義務の具体的内容を知ることは重要です。そこで、裁判例で問題とされた安全配慮義務を概観することで、具体的イメージをつかんで頂きます。
1 法律の規定と安全配慮義務の関係
① 安全配慮義務について
第1回目のコラムにて触れたように、一般的には、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として、当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」と言われています。
しかし、裁判所は、義務違反を主張する者(被災者側)は、抽象的に「上記義務に違反している」と主張するだけでは不十分で、「実際の被災状況に照らし合わせ、会社にはどのような安全配慮義務があったのかを具体的に特定した上で、かかる具体的な安全配慮義務に違反する事実を主張・立証しなければいけない」としています。
② 法律の規定との関係
請求する側は、安全配慮義務の具体的内容を特定する必要があるのですが、そのために参考になるものはないでしょうか。会社のリスク管理の観点からも、抽象的に「労働者の安全に配慮する必要がある」というより、もう一段階進んで、「労働者の安全を確保するには、どのようなことに注意すれば良いか」を知る方が、より実践的です。
このとき参考になるのが、労働安全衛生法の諸規定です。これは、「労働災害の防止のための危害防止基準の確立・・・を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする」法律であり、会社が労働者の安全や健康を確保するために行うべき義務を色々規定しています(義務違反の場合、刑罰が科せられるものもあります)。
ただ、かかる法律の規定はあくまでも参考にしか過ぎません。労働安全衛生法3条にて、「事業者は、単にこの法律で定める労働災害の防止のための最低基準を守るだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない」と規定されているように、労働安全衛生法の諸規定を守っていただけで、会社が免責されるとは限りません。
2 裁判例
そこで、実際、裁判所が認定した安全配慮義務を見ていきましょう。
① 労働時間管理
ⅰ 平成8年3月28日東京地判(電通事件)において、「被告の履行補助者である訴外Sらには、被災者の常軌を逸した長時間労働及び同人の健康状態の悪化を知りながら、なるべく早く切り上げるようにと注意するだけで、労働時間を軽減させるための具体的な措置を取らなかった過失があると言わざるを得ない」と判示して、安全配慮義務違反を認めています。
ⅱ この裁判例からは、部下の労働時間を確認し、労災認定基準(次回以降に説明します)を上回る長時間労働を行っているような場合は、「労働時間を軽減するために、担当者を増やして業務を分担させたり、納期を延期するなどの具体的措置を取る必要がある」ということを学ぶことが出来ます。
ⅲ 労働時間を軽減するための措置については、「労働時間等設定改善指針」という通達が参考になります。
ⅳ 労働時間の確認方法については、「原則として、a使用者が自ら現認する方法で確認・記録、bタイムカード、ICカード等の客観的な記録を基礎として確認・記録すること」という通達(労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準について)がありますので、かかる方法で確認・管理するのが望ましいです。
② 職場環境調整
ⅰ 人的環境
a 平成14年6月27日横浜地裁川崎支部判(川崎水道局【いじめ自殺】事件)において、「市は・・・職員の安全の確保のためには、職務行為それ自体についてのみならず、これと関連して、ほかの職員からもたらされる生命、身体等に対する危険についても、市は、具体的状況下で、加害行為を防止するとともに、生命、身体などへの危険から被害職員の安全を確保して被害発生を防止し、職場における事故を防止すべき注意義務がある」としました。
その上で、「課の責任者は、被告丁原などによるいじめを制止するとともに、被災職員に自ら謝罪し、被告丁原らにも謝罪させるなどしてその精神的不安を和らげるなどの適切な処置をとり、また、職員課に報告して指導を受けるべきであったにも関わらず、被告丁原らによるいじめを制止しないばかりか、これに同調してもいた・・・」「被災者の訴えを聞いた課長は、直ちにいじめの事実の有無を積極的に調査し、速やかに善後策(防止策、加害者など関係者に対する適切な措置、被災者の配転など)を講じるべきであったのに、これを怠り、いじめを防止するための職場環境の調整をしないまま、被災者の職場復帰のみを図ったものである」
として、安全配慮義務違反を認めました。
b 平成13年3月26日仙台地裁(仙台セクハラ【自動車販売会社】事件)では、「事業主は、雇用契約上、従業員に対し、労務の提供に関して良好な職場環境の維持確保に配慮すべき義務を負い、職場においてセクシャルハラスメントなど従業員の職場環境を侵害する事件が発生した場合、誠実かつ適切な事後措置をとり、その事案にかかる事実関係を迅速かつ正確に調査すること及び事案に誠実かつ適正に対処する義務を負っているというべき」としました。
その上で、店長が、事件当日が初売り期間中で仕事が残っていたこと、性質上緊急性のある事件でないと判断したことから、直ちに加害者から事情聴取せず、また被害者に対して警察に届けないよう口止めをして、仕事を優先させたのであり、初期の適正迅速な事実調査義務を怠った。
加害者からの事情聴取においても、被害者の言い分に照らし、具体的に事情を聴取すべきであったにもかかわらず、具体的に聴取することなく、また、加害者と被害者の言い分が異なっているにも関わらず、漫然と加害者の言い分を聞くだけで、その言い分が真実かどうか確認をする努力もしなかったのであるから、誠実かつ適正な事実調査義務を怠った。
そして、警察や社外に口外しないように指示したのであるから、その代わりに会社が事実調査を行う義務を負ったことを自認していることは明らかというべきところ、加害者の言い分だけを聞いて、加害者と被害者の言い分のどちらが正しいのかを確認することもなく、漫然と加害者の言い分を真実と受け止めるような態度をとったことは、事案に適正に対処する義務を怠ったものと言わざるを得ない。
などとして、安全配慮義務違反を認めました。
c これらの裁判例からは、「いじめやセクハラなどの職場環境が害される事態が発生した場合、会社は、当事者や関係者から事情を確認して事実を認定し、その認定した事実に基づいて、被害者と加害者に対応して再発防止と被害者の精神的負担を取り除くための措置を執る必要がある」ことなどを学ぶことが出来ます。また、事実調査をする上での注意点も学ぶことが出来ます。
ⅱ 物的環境
a ⅰbで紹介した「仙台セクハラ【自動車販売会社】事件」は、「物的環境」に対する安全配慮義務についても触れています。
すなわち、この判決は、会社の従業員が会社の女子トイレに侵入し、のぞきをしていたという事案でした。この事案において、裁判所は、「事業主は、従業員に対し、雇用契約上の付随義務として、良好な職場環境の下で、労務に従事できるよう施設を整備すべき義務を負っている」と述べました。
その上で、本件女子トイレの構造に関して、「男女別のトイレであるが、女子トイレ内に掃除道具置場があることから、場合によっては男性も女子トイレ内に入っていく機会を作り出していた。掃除道具置場と女子トイレ内の個室トイレとの間には板一枚しか設けられておらず、しかも床面から最大6.5㎝の空間があり、また床からの高さ82㎝に位置する水道管の穴の周りにも隙間があり、掃除道具置場から個室トイレ内を見通すことが出来る構造になっていたことから、構造に欠陥があった」としました(ただ、「これまで注意喚起をした者がいなかったことから、事業主にて構造の欠陥を認識できる機会はなかった」として、結論としては、職場環境整備義務違反を否定しています)。
b 平成17年3月31日東京地判(アテスト【ニコン熊谷製作所】事件)では、昼夜交替勤務・深夜勤務に従事する従業員がうつ病に発症した事案において、昼夜交替勤務・深夜勤務に関して、ア夜間睡眠と比較して昼間睡眠の量・質が低いこと、夜勤慣れがないことなどにより、睡眠障害・消化器疾患等が生じ、慢性疲労が生じること、イ仮眠には、アの障害に対し、効果があるので、夜勤中には仮眠を取るようにすべきことなどの医学的見解を指摘した上で、夜勤時の休憩時間は、1時間、15分、10分の3回であり、時間的に仮眠時間を取れる状態になく、就業場所から仮眠室に行くためには、防塵服を脱ぎ、守衛室に連絡して鍵を受け取った上で、約5分ほど歩く必要があり、仮に最長の1時間の休憩を使っても仮眠を取るということは事実上不可能と指摘して、仮眠をとれない状態の夜勤を含む昼夜交替勤務をさせたなど(他にも様々な義務違反を肯定していますが)が安全配慮義務に違反するとしました。
c これらの判決からは、「事業主は、個々の具体的状況に応じて、従業員が安全・安心して働けるために必要な施設や設備を整備する義務も負っていること、それは心身の健康に対する配慮だけでなく、プライバシーに対する配慮を含む」ということを学ぶことが出来ます。
③ 健康管理
労働安全衛生法は、従業員の健康管理に関して、「雇入時の健康診断」、「定期健康診断」、「定期健康診断で異常所見があった従業員について医師からの意見聴取」、「医師の意見に基づく必要な措置の実施」、「長時間労働を行った労働者に対する面接指導」、「面接指導の結果に基づき医師の意見を聞き、その意見に基づき必要な措置の実施」などの規定を設けています。
従って、かかる義務は安全配慮義務の内容を構成します。
なお、平成17年9月27日甲府地判(社会保険庁【うつ病自殺】事件)は、「各種健康診断の実施、医務室の設置、メンタルも含めた健康相談などを実施し、職員の健康管理、被災者の健康管理には落ち度がなかった」という事業主の主張に対して、「職員の健康管理は、体制的な管理につきるものではなく・・職員の日常の勤務状況、職場環境、業務の負担などについて、継続的に的確に業務の把握を行い、健康状態等につき管理をする必要がある」と判示した裁判例があります。
かかる判決からは、「メンタルヘルス研修の実施や相談窓口の設置などの体勢を整備するだけでは足りず、個々の労働者の労働時間、従事する業務の内容、勤務状態、健康状態などを常日頃から注視し、異変を感じたときは適切に対応する必要がある」ということを学ぶことが出来ます。
以 上
執筆者
富小路法律事務所 弁護士 中尾 貴則
同志社大学法学部卒業後、翌年、司法試験合格。大阪弁護士会に登録。法人企業(大企業、中小企業)に対する企業間の取引や、消費者からのクレームにまつわるトラブル、従業員とのトラブルについての相談、契約書作成・確認などの業務を行う。
2007年、富小路法律事務所設立。現在に至る。 2008年に「メンタルヘルスの法律実務入門セミナー」、「メンタルヘルスの法律実務入門セミナー」をメンタルグロウと共催。著作としては、労働審判法(共著)、知的財産契約の理論と実務(共著)。